痛み

痛みを想像してしまい、その想像の痛みのあまりの痛みに顔をしかめてしまうということがよくある。特に、さー寝るぞ、と本を開いても中々睡魔がやってこず、仕方無く本を閉じ、無理矢理に目を閉じると、モヤモヤしている脳が

金属バッドで思いっきり頭部を殴られたり、
焼きごてを胸に当てられたり、
尿道に針を刺されたり、

しているシチュエーションを想像しては、布団の中で『うわぁぁぁぁぁぁぁ』と思ってしまう。

出来る限り、死ぬまではそんな事態には遭遇したくないわけで、そして死ぬ時も刺されたり、生きたまま沈められたり、生きたまま燃やされたり、生きたまま線路の上に置かれて始発電車に轢かれたり、そんな目に合わずに普通に死んでいきたいと日々願いながら生きている。

痛みについては息子が感じる架空の痛みを無駄に想像してしまうことがある。よくテレビで面白ビデオとか言って、弟が姉が漕いでいるブランコに近付いていってブランコごと蹴られる、みたいなのがあるけど、俺なんかあんなものは面白くもなんともなくて、痛くて痛くてしょうがないのに、我が子ともなればそれはもう大騒ぎ。

例えば

俺の不注意で重い扉に息子の手が挟まれる、とか、電車に乗る時に、ホームと電車の間が離れすぎていてそこにハマってしまってそれに気付かずに電車が発車してしまう、とか、走っていて転んだところにガラス片が落ちていて顔がすごい裂ける、とか。

もちろんそうなってないんだからいいんだけど、そうなってしまう可能性はゼロではない、というところから俺の考えは始まっていて、そんなの杞憂この上ないんだけど、とにかく3歳の小さな体と脳には酷な痛みというものからは絶対に守ってあげなければならないと思っているのである。一緒に手を繋いで歩いていても、

あの車、バックしようとしてるけど、なんか間違えてアクセル踏んだらどうしよう、とか、お、ビルを建築してるな。鉄材が降ってくるのに注意しないと、とか。駅のホームでは絶対に真ん中を歩くし、先頭車両には乗せない、とか。不安は尽きない。

そんな風に思って注意深く生きている、今日この頃、民家の塀から突き出した得体の知れない棒に左目をしたたかにぶつけた。

俺が。